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09 August. 2016

コラム「超人探訪記」第24回 「超人文化は空想から現実へ」

文:氷川竜介(アニメ特撮研究家)

 前回述べたとおり、超人文化史は1977年に大きな断層を有している。それは「空想から現実へ」というパラダイムの変化であった。

 この年には、1974年のTV放映時には不人気だった『宇宙戦艦ヤマト』が再編集で劇場公開され、リベンジ的に大ヒット。初日の徹夜行列が報道され、初めて中高生以上のアニメファンがいることが社会的に認知されてアニメブームが起きる。そして1978年夏の新作映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』公開に合わせ、アニメ専門誌「月刊アニメージュ」(徳間書店)が創刊。これによって「テレビまんが」の時代は終わり、アニメと特撮が分断されて現在に至る。「つくられたもの」としてのアニメと特撮に注目が集まり、TV世代のファンが業界入りしてクリエイターとなる現象も、この時期が起点である。

 アメリカでは同じ1977年に映画『スター・ウォーズ』が大ヒット(日本公開は翌年)。SF映画ブームが起きると同時に、撮影にコンピュータを導入したモーション・コントロール・カメラが使われて、メイキングが続々と紹介された。同時にCGも急発達を始め、「SFX(スペシャル・エフェクツの略)」という言葉が流行。アナログベースの「特撮」は伝統芸能的なニュアンスで古いとみなす傾向が出てきて、技術的にも分断が生じていく。

 1970年代中盤にはアニメと特撮を合成したり、リアルな劇画を棒であやつるという、ある種乱暴な映像表現の番組さえ放送されていたが、観客の目が肥えたせいか、この時期に急速に消滅していく。これも「TVまんがの時代」の終焉を意味している。 情報化社会への急速な傾斜が何もかもをデータに分解し、超人たちも作り手、キャストと「現実にいるもの」に変わっていく。質の劣ったものは排除され、歴史から消えていく。超人たちが書籍、写真、フィギュア、グッズ類など、手に触れるものとして身近になった分だけ「本体」から遠のくような、空洞化を感じたことはないだろうか? ある時代までは現実と併走してあった「空想世界」とその住人は、なぜ消えてしまったのか? いったいどこに行ってしまったのか?

 『コンクリート・レボルティオ ~超人幻想~』という作品のクライマックスからラストは、そうしたホロ苦い感慨を触発させる。超人が何のために生まれ、なぜ必要とされ、どういうものをもたらしたのか。もう一度考え直すこと。それが、超人の「本体」を取りもどす最短コースなのかもしれない【完】。

第24回 「超人文化は空想から現実へ」

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©BONES・會川 昇/コンクリートレボルティオ製作委員会