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09 August. 2016

コラム「超人探訪記」第23回 「沖縄と超人と怪獣ブーム」

文:氷川竜介(アニメ特撮研究家)

 第4回で紹介した怪獣ブームは、第一次怪獣ブーム(1966~1968年)、第二次怪獣ブーム(1971~1974年)、第三次怪獣ブーム(1978~1980年)と3回起きている。そして第二次と第三次の間には、実は大きな断層がある。

 一次二次の「作品研究」の中から出てきたのが、第三次ブームだった。円谷プロダクションのプランナーで円谷英二の研究者として知られる竹内博がフリー編集者の安井尚志と組み、特撮研究同人「怪獣倶楽部」のメンバーが中心となって編纂されたムック「ファンタスティック・コレクション 空想特撮映像のすばらしき世界 ウルトラマン/ウルトラセブン/ウルトラQ」(朝日ソノラマ)が、状況を一変させた。1977年末の刊行である。

 それまでの書籍はウルトラマンや特殊メカを図解し、怪獣図鑑として整理し、空想のスペックを詳細化して紹介する「夢の国の二次展開」だった。ビハインドは特撮の神様・円谷英二の紹介と撮影風景が紹介される程度だ。ところがこのムックは、企画成立までのプロセスを述べ、プロデューサー、シナリオライター、監督、デザイナー、造型作家など数多くのクリエイターが関与する「創作物」として総合的に掘り下げ、紹介したのだった。社会的にも文化芸術的にも「語るに値する作品」と位置づけことは画期的だった。このムーブメントが児童向けテレビ雑誌「てれびくん」と連動し、再放送や再編集映画で『ウルトラマン』が再評価されてブームが起きる。

 そしてもうひとつの断層は、「金城哲夫の不在」である。1938年生まれの金城哲夫は、1963年に円谷プロへ入社、『ウルトラQ』から始まる一連の作品を企画立案し、基本設定を構築し、脚本家としても名エピソードを残している。「ウルトラマンをつくった男」の中でも最重要人物と言っていい。しかし彼は『マイティジャック』(68)の失敗を契機に、故郷・沖縄へ帰る。 太平洋戦争末期、沖縄戦で大被害が出た後、沖縄群島は米国の占領地域となった。金城が帰郷した時期には本土復帰の機運が盛り上がり、1972年に沖縄返還が成就する。1975年には記念行事として沖縄国際海洋博覧会が開催され、未来型海洋都市「アクアポリス」が建設された。金城哲夫はこの海洋博の構成・演出として活躍するが、終了直後に事故死してしまう……。ゆえに「ウルトラマン研究」における金城本人の証言は極端に少ない。

 超人文化とその歴史もまた、ひとつの「物語」を形成しているのである。
第23回 「沖縄と超人と怪獣ブーム」

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