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14 June. 2016

コラム「超人探訪記」第20回 「ベトナム戦争とミリタリー玩具」

文:氷川竜介(アニメ特撮研究家)

 第20話に登場する「メコンデルタ」とはベトナム南部、湿地帯とジャングルが拡がるメコン川の「三角州」を意味する。1960年代中盤以後、ベトナム戦争への介入を強化したアメリカ軍はここで南ベトナム解放民族戦線と激戦を展開した。その軍事行動に日本が直接関与することはないが、基地を擁することで間接的には荷担していることになる。その問題意識が、日本の学生運動の根幹にあった。

 ベトナムを体験した米兵の多くは、故郷へ帰還後もトラウマを抱える。1975年4月30日のサイゴン陥落後、『ディア・ハンター』(78)、『地獄の黙示録』(79)など、戦争の意味を問いかける映画が製作された。アクション映画として知られる『ランボー』(82)も、第1作目は戦場にしか居場所を見つけられないベトナム帰還兵の孤立に焦点をあてている。

 さて日本の戦後はアメリカナイズの歴史でもあり、玩具の傾向にも影響をあたえている。女子の「人形遊び」は古くから日本にもあったが、米国マテル社の人形「バービー」が1962年に輸入され、ダッコちゃんで一世を風靡した日本の玩具メーカー、タカラ(現:タカラトミー)が和製アレンジの「リカちゃん人形」を1967年にヒットさせる。ポイントは「着せ替え」と「家庭用品」による「ごっこ遊び」だ。このシミュレーションには情操教育的効果もあるとされ、大流行となった。

 一方、米国ハズブロ社はバービーをヒントに男子向け玩具「G.I.ジョー」を展開していた。日本では1966年に三栄貿易による輸入品としてセールスが始まり、1969年にはタカラが権利を取得する。これは関節の可動域が広くて豊かなポージングがとれる上に、軍服の着せ替えに加え、銃器などの装備を自在に変更できるものだ。この「戦争ごっこ感覚」は、現在のガンダムプラモデル等のルーツのひとつである。さらに1971年、第二次怪獣ブームを受けて特撮超人のコスチュームに着替えられるバージョンがリリース。これを発展させて、1972年にはボディを透明パーツ化し、内部にメカの骨格を仕込んだ「変身サイボーグ」という新シリーズがスタートした。

 超人コスプレ、リアルなプロポーション、関節可動などのプレイバリューはG.I.ジョーから継承し、手足を着脱式として装備オプションを販売するなど、日本独自の工夫が随所に加わっている。そしてこの換装ギミックは、やがて到来するロボットアニメブーム時、さまざまに応用されることになるのであった。

第20回 「ベトナム戦争とミリタリー玩具」

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©BONES・會川 昇/コンクリートレボルティオ製作委員会