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20 May. 2016

コラム「超人探訪記」第18回 「等身大超人の量産化」

文:氷川竜介(アニメ特撮研究家)

 西暦1971年には、世代交代した児童視聴者が中心となって「第二次怪獣ブーム」が起きた。特に『仮面ライダー』は第2クールから「変身」にポーズとかけ声をつけた点で子どもたちの「ごっこ感覚」を刺激して、爆発的なヒット作となった。特に次々と新手の登場する等身大の「怪人」という概念は、特撮番組を新たなステージへと導いた。同年末、ケイブンシャから「原色怪人怪獣大百科」という図鑑が発売され、ベストセラーとなる。映画とTV番組に登場した「怪獣」と「怪人」を五十音順で並列化し、身長・体重・出身等スペックを明記した上で「初出作品データ」を添えた点が画期的だった。書名に「怪獣」「怪人」と併記しなければならなくなるほど、大きなムーブメントだったわけだ。

 TVの時代に合わせて大量消費物となった「怪獣」には、単なる動植物の巨大化を超えるオリジナリティが要求されていた。それゆえ「人間が2人はいって演技する」等、人間から離れた形態の独創的アイデアは枯渇気味となりがちである。1972年の『ウルトラマンA』では「怪獣よりも強い超獣」という新概念を打ち出し、より装飾的でカラフルにエスカレートすることで、この問題に対処したほどだ。一方の「怪人」は、タイツ、ベルト、ブーツなど衣装を適用することで特殊造形物を頭部や上半身に絞りこみ、クモやコウモリなど一目で分かる意匠を前面に出すシンプルさが新鮮で、たちまち大人気となった。コストダウンの方便だったにせよ、それが新たな価値を生み出すあたり、実に日本的である。

 そして「第二次怪獣ブーム」は急速に拡大していく。1971年に『宇宙猿人ゴリ』(『スペクトルマン』)『帰ってきたウルトラマン』『仮面ライダー』『好き!すき!!魔女先生』『シルバー仮面』『ミラーマン』と5作品だった特撮番組は、1972年には『快傑ライオン丸』『超人バロム・1』『レッドマン』『ウルトラマンA』『変身忍者嵐』『トリプルファイター』『緊急指令10-4・10-10』『人造人間キカイダー』『サンダーマスク』『行け!ゴッドマン』『愛の戦士レインボーマン』『突撃ヒューマン!!』『アイアンキング』と13作品がスタート。1973年の新番組は『ファイヤーマン』『魔神ハンターミツルギ』『仮面ライダーV3』『ジャンボーグA』『流星人間ゾーン』『白獅子仮面』『ロボット刑事』『ウルトラマンタロウ』『風雲ライオン丸』『キカイダー01』『スーパーロボット レッドバロン』『イナズマン』『クレクレタコラ』『光の戦士 ダイヤモンド・アイ』『鉄人タイガーセブン』『行け!グリーンマン』と、なんと17タイトルにまで膨れあがる。特撮ステージとミニチュアセットに撮影ノウハウを駆使する巨大超人ものに比べ、スーツと火薬で屋外撮影可能な等身大超人ものは、ローコストで増産可能だったことが大きい。だから包括的に「変身ブーム」と呼ぶ場合もある。

 ところがこの1973年、「オイルショック」が発生した。結果として翌1974年の新番組は『仮面ライダーX』『仮面ライダーアマゾン』『イナズマンF』『電人ザボーガー』『ウルトラマンレオ』『がんばれ!!ロボコン』『SFドラマ 猿の軍団』『スーパーロボット マッハバロン』と8タイトルにまで激減してしまう。さらに1975年にはウルトラマン、仮面ライダー、ゴジラ(映画)と長年続いてきた看板シリーズが続々と終了。そして「等身大変身ヒーロー」の量産時期は終わり、戦隊シリーズとロボットアニメへと主流は推移していく。「変身ブーム」はまさに「時代の徒花」のように、一瞬満開となってすぐさま散ったのであった。

第18回 「等身大超人の量産化」

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