11 May. 2016
コラム「超人探訪記」第17回 「地底海底秘境宇宙」
文:氷川竜介(アニメ特撮研究家)
西暦1970年前後は、今から思うと極端なものが整理されないまま混在する闇鍋的な時代だった。アメリカのアポロ計画が宇宙飛行士を月面へ送り込み、それを可能とした電子計算機(「電算機」という略称がコンピュータより主流だった)が急発達する。その「月の石」を展示した大阪万国博覧会には電算機が大量導入され、アスキーアートの先祖のような英数文字の似顔絵を描いたりした。その電算機が核兵器を制御し、エラーによる全面核戦争が起きる可能性や、機械が人間を管理支配する不安が喚起された。
科学が人間の利便性を向上して生活を一変させることは確実に思える一方、人間性が阻害される恐怖があったのだろう。科学の範疇にない「妖怪」が文明の利器テレビにより、闇の世界から明るいお茶の間へと進出するのも皮肉なことだった。水木しげるの『墓場の鬼太郎』が1968年のTVアニメ化で原作『ゲゲゲの鬼太郎』と改題され、陰湿さが除去される。急成長する「テレビ文化」の猥雑なエネルギーが、トンネル効果のように科学・非科学と対立するものを結びつけたのだ。「妖怪」「宇宙人」「ロボット」など異種混淆の「超人」たちは人間では解決至難の事件を解決し、同時に人類の狭量な知性と認識力には限界があることも伝えていた。
そんな児童向けフィクションでは、宇宙の他にも地底、海底、秘境など日常から隔たった地がよく選ばれた。それは初代『ウルトラマン』(66)のエピソードに用意された舞台のバリエーションだけでも、自明であろう。「前人未到」のフロンティアを求めるオトナ自身の願望か、次代をになう子どもが成長したら限界を超えて先に進んでほしいという希望か。価値観の異なる者同士の接触とコンフリクトが頻繁に描かれていた。
中でも「宇宙」は格別だった。地底、海底、秘境は地球の一部で、どこかの国家の領土・領海とのリンクがある。だが、地球の重力をふりきった真空の宇宙、人類未到達の月面は、まだ誰のものでもない。先述のアポロ計画もケネディ大統領の「ニューフロンティア政策」の一部であることが、象徴的である。ところがその「宇宙開発競争」は冷戦構造の生んだものだったため、アポロ17号で終了。以後は宇宙機のリサイクルを前提としたスペースシャトルの時代へ移行する。
さまざまな点で「未知なるもの」が消えつつある最後のフェーズが、1970年前後だったのではないだろうか。