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10 November. 2015

コラム「超人探訪記」第6回「バンドの時代、エレキの時代」

文:氷川竜介(アニメ特撮研究家)

 第6話は一転して、コミックバンドが主軸の物語。新時代の音楽が人の限界を超える革新と若者に認知された1960年代、音楽は受動的に鑑賞するものから、自ら能動的に演奏して仲間たちの心をつなぐものへと変わった。音楽のパワーで戦争を起こし続ける旧世代をふりきり、世界を愛と平和ベースへの枠組みに変革できると青年たちは信じていた。

 この背景には「エレキブーム」がある。1950年代後半、アメリカで起きた「ロックンロール」のブームで「エレクトリックギター(通称エレキ)」が、若者だけが分かる斬新なサウンドとして爆発的に流行する。日本のミュージックシーンでも1960年代、「歌手メイン」というスタイルからアンサンブル重視のバンドへと急速に流行の主軸が変化した。

 1962年5月と1965年1月には、ザ・ベンチャーズが来日。直後の1965年6月にはテレビでエレキバンドコンテスト番組「勝ち抜きエレキ合戦」が始まり、1965年12月には加山雄三主演の映画『エレキの若大将』が封切られる。若者たちがこぞって自分たちのエレキを手に入れ、前代未聞のサウンドに酔いしれるエレキブームが起きた。その頂点は1966年6月、ザ・ビートルズの日本武道館公演であった。

 この時流の中で「コミックバンド」も急速に、映画やテレビで人気を高めていく。複数プレイヤーを擁するバンドは参加メンバーのキャラが濃厚で、かけ合いの呼吸で音楽を演奏するように、コントを転がすスキルが巧みだったのだ。その代表格「ハナ肇とクレージーキャッツ」は1960年代、テレビ番組「シャボン玉ホリデー」と「クレージー映画」と呼ばれる一連の喜劇映画で一世を風靡する。その後輩にあたる「ザ・ドリフターズ」はビートルズ日本公演の前座演奏で注目され、テレビに多く出演するようになった。ドリフは1969年に放送開始したテレビ番組『8時だョ!全員集合』が子どもたち含めて大人気となり、個性的なキャラのお笑い集団として認知されていくようになる。

 クレージーやドリフの活躍は、1950年代初頭まで米国占領下にあった日本で、進駐軍キャンプを回ったミュージシャンの活動とも深い関係がある。彼らが高度成長期にはステージでのバンド生演奏やバラエティ番組で疲れたサラリーマンを癒やすようになるという、娯楽の大きな流れの一部なのだ。その意味では戦後生まれのバンド文化とは一線を画す戦前戦中世代のものだが、両者は「エレキ」でつながって時代を進ませた。それは「超人」を考えるうえで非常に興味深い点である。

第6回「バンドの時代、エレキの時代」

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©BONES・會川 昇/コンクリートレボルティオ製作委員会