19 October. 2015
コラム「超人探訪記」第3回「人と機械の境界、人造合体メガッシン」
文:氷川竜介(アニメ特撮研究家)
第3話は神化42年に羽田空港で発生した連続爆破事件と、神化47年にグアム島から同じ空港へ28年ぶりに帰還した元日本兵を導入に、戦中開発された人型ロボット兵器の悲哀を描くエピソード。戦争は終わっていないという認識を背景に、「機械の身体」となった刑事・柴来人の苛烈な生きざまが、「機械と人の境界」という問題提起とともに描かれる。
「ロボット」という言葉を生んだ1920年のカレル・チャペックの戯曲『R.U.R.』では、生体で人体を模擬していた。これが1923年に日本に伝わったとき、「人造人間」という用語が使われ、機械的手段で実現が試みられていく。戦後の児童小説やマンガでは直訳の「ロボット」に変わり、TVアニメもまた「ロボットアニメ」から出発した。『鉄腕アトム』が始まった1963年中に『鉄人28号』と『エイトマン』も始まり、「ロボット」の概念を三者三様に提示することになる。自律型のアトムは未来の少年ヒーロー。鉄人は戦中に開発された巨大兵器で操縦型。そして問題はNASAの最先端科学で開発された成人型ロボット、エイトマンである。彼には、殉職した刑事の記憶が移植されているのだ。
原作のSF作家・平井和正のコンセプトは脳移植に近いサイボーグだった。だが、打ち合わせで関係者に「細胞具」とアテ字を書かれてしまうほど、一般に馴染みのない言葉だったという逸話が残されている。生体に機械を組み込み能力拡張するのとひきかえに、人としてのアイデンティティが危機に陥る。このドラマは後に石ノ森章太郎のマンガ『サイボーグ009』で広く知られるようになる。
1970年代初頭は石ノ森原作のサイボーグもの『仮面ライダー』(71)、等身大ロボットもの『人造人間キカイダー』(72)という特撮作品に加え、永井豪原作の巨大ロボットアニメ『マジンガーZ』(72)がスタート、三者三様の構造がリフレインされている。人の生活は機械文明の恩恵から切り離せなくなり、現在に至るも問いかけは形を変えて続いている。「人と機械の境界」をどこかで意識しつつ、われわれも新たな地平へ生きぬく覚悟を決めるしかない。ロボット、サイボーグ超人たちは、いつの世も「人の本質」を照らし出し続ける存在なのである。