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09 October. 2015

コラム「超人探訪記」第2回「地球の先住種族タルタロス蟲人」

文:氷川竜介(アニメ特撮研究家)

 第2話ではタルタロス蟲人による「黒い霧」事件を通じ、神化41年と神化48年にまたがって、苦い味わいの残る物語がつむがれている。良いと思って実行に移したことが、異なる立場の者たちには破滅的な災厄をもたらす。実にイヤなリアリティが、そこにある。

 高度成長期、科学技術で繁栄を可能とする人類の「万物の霊長」という呼称には、自負とともに懐疑もつきまとっていた。なぜ人間だけが知性を獲得したのか、なぜ道具を使って環境を変化させることができたのか。共存すべき知的生命体がいなくて、「地球の支配者」を単独で自認しているのはなぜか。

 人類自身の歴史を振り返れば、仮説が得られる。ある種族、部族が版図を拡大しようと、他の領土へ攻め入る。征服とも侵略とも呼ばれる行為は繰り返され、殺戮やジェノサイドに至ることも少なくない。記録や痕跡は現生人類が確定して以後が中心だ。もし人間とはまるで進化系統の異なる知的生命体、先行支配種族にも殺戮が及んでいたら……。

こうした懐疑は古くからさまざまな児童向けのフィクションで描かれてきた。現在でも大きな影響力が残っている代表例は、TV特撮『ウルトラセブン』(67)の第42話「ノンマルトの使者」だ。地球人とされているわれわれこそが先行する地球人ノンマルトに対する侵略者かもしれないと、善悪の価値観を根底からくつがえした展開は衝撃的だった。1970年代に入るとこの種の「種族間抗争」はレギュラー設定に多く採用される。『海のトリトン』(72)では海底におけるポセイドン族とトリトン族の立場を反転させながら覇権争いが描かれ、『ゲッターロボ』(74)では地下に追いやられていた恐竜帝国が地上の正統な支配権を主張する。

 作り手は、アフリカ系アメリカ人の公民権運動が要人暗殺を背景に激化したことや、ベトナム戦争が泥沼化したことなど、現実世界で果てしなく続く争い、そこに絡む利権も意識していたはずだ。外見が異なるだけで「敵」と認定し、利益のために傷つけ排除していいのか。自己の欲望に歯止めをかけず、無制限に拡大していいのか。

 永遠に答えの出そうにない懐疑は、本作の超人たちの争いにも投影されているのである。

第2回「地球の先住種族タルタロス蟲人」

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©BONES・會川 昇/コンクリートレボルティオ製作委員会