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03 July. 2015

水島精二監督、會川 昇(脚本)よりコメントを頂きました

水島精二(監督)

僕らが夢中になったヒーローは、何であんなに沢山いたのだろう?もう10年近く前、會川氏と話していた時、そんな話になった。
同世代で、同じような番組を見て育った僕らだが、僕はそんな事を考えた事もなかった。
確かに、僕らは子供のころヒーローの登場する番組を、途切れることなく見て、楽しんできた。
でも、なんで、ヒーローはあの時代にああも沢山産み出されてきたのだろう?その日は夜遅くまでその話に夢中になった。
暫くして、會川氏が考えてきた企画、それが本作品のベースだ。
ヒーローが多数存在する世界。それぞれが主役級のヒーローのそろい踏み。
その世界は非常に現実的だ。面白いと感じた。
これを、作りたい。と。それから数年が経ち、僕らの中で熟成されたものが、このコンクリート・レボルティオだ。機は熟した。

會川 昇(脚本)

一九六五年生まれの私にとって、ヒーローは最初からテレビの中にいた。特撮も、アニメも、時代劇も、刑事ドラマも区別はない。時には歌手やスポーツ選手もそれと同等の存在だった。
幼い脳髄は、それを現実と区別することをしなかった。雑誌に掲載されるそれらのヒーローたちについての記事は、いわば新聞が事件を報じるものに等しく、そして公園や幼稚園で自分がそれになりきるとき、自分と彼らの境すら、やすやすと乗り越えていた。
今でもどうしても忘れられない記憶がある。
小学生のほんの一時期、私にとって最大の娯楽は自転車を漕ぐことだった。漕いでどこかに向かうのではない。スタンドを立てたままの子ども用自転車を、庭の片隅でただひたすら漕いだ。そのとき私の視界には、無限の宇宙が広がっていた。冗談でも作り話でもない。私は宇宙船のパイロットとなって銀河を駆け巡っていた。それを妄想だとか夢だとか子どもらしい遊びだと決めつけるのは簡単だ。だがそれが現実だったとしたら――その確率はゼロなのか?

日本では三巻までしか翻訳されていないが「ワイルドカード」を読んだとき、頭蓋骨がはじけた気がした。シェアワールドという概念も魅力的だったが、架空のものと思われがちなヒーローを現実の歴史の中に置いて絡めるというそのアプローチに私は取りつかれた。考えてみればそれは日本の伝奇小説の技法と通じるものがあり、それもまた私の大好物だったのだ。
「ダークナイトリターンズ」「リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン」「マーブルズ」といったアメコミにおける「現実」の描き方に触れるうちに、これを日本でやったらどうなるんだろう、という考えはどんどん深まっていった。そしてそれは自分が生きてきた昭和という時代を学ぶことでもあった。子ども時代にはニュースや大人たちの話題から「なにかが起きている」ことは知っていても、その本質はわかっていなかった。だがその本質の一部はフィクション化され、心ある作家たちによって「ヒーローもの」の中で描かれ、とっくに私たちに届けられていたのだ。まさに「馬手にジャーナル、弓手にマガジン」である。

ヒーローたちを描いた数多のフィクションが現実を含有していたのなら、彼らについて描くことはすなわち現実を描くことに他ならない。
十数年にわたって一人で転がしてきた幻想だったが、この数年やっと理解ある仲間を得て、一つの形にすることができた。
これが私の最後の作品でもかまわない。いや、これで引退という意味ではない。これから先ずっとこの作品を作り続けてそして死ねたら本望だ。
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©BONES・會川 昇/コンクリートレボルティオ製作委員会